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うんこなまずの巣

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2015年 12月 19日

うんなま過去公演写真集

2015年3月
unkonamazu 8th
『fly me to the xxx.』
atB:SQUARE
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2014年8月
☆seven colors rainbounko☆
『としくんとリボルバー』
atOVAL THEATER
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2014年3月
Unko-Ga-Muri6ri公演
『tango@bye-bye』
atCafeSlowOsaka
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2013年11月
赤子vsTEAM井上大輔
『tango@はじめて』
atかつおの遊び場
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2013年7月
unKoの限り業5Go!公演
『ラブなま』
at梅田カラビンカ
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2013年1月
May the 4th unko with you うん公演
『明日放る』
atAManTo天然芸術研究所
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2012年1月
三本のうん公演
『いぬのさんぽ』
at一心寺シアター倶楽
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2011年10月
せかんどうんぱくと公演
『さだだだ。』
atロクソドンタブラック
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2010年3月
うんこけらおとし公演
『もののけ姫』
at大阪大学学生会館二階大集会室
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# by unkonamazu | 2015-12-19 04:56
2015年 12月 12日

「フォアグラ」挟み込みに関して

「フォアグラ」挟み込みについて

うんこなまず −09
「フォアグラ」挟み込みは、
郵送での受付をしております。

○部数:180部
○〆切:12月22日(火)到着可能分

ご希望の方は、unkonamazu@gmail.com、又はTwitterのDMにご連絡ください。
※住所は別途ご連絡いたします。

上記以外での受け渡し方法をご希望の方、また上記日時後の受付等は
別途ご連絡ください。(可能な限り対応いたします)

それでは、どうぞよろしくお願い致します。

劇団うんこなまず制作
藤原


# by unkonamazu | 2015-12-12 15:00
2015年 12月 12日

【dracom⇔うんなま】往復応援メッセージ

2015年、何かとお世話になったdracom、もとい筒井さんに、双方の次回公演時期が近いことからお互いコメントを書きませんかと恐れ多くもお願いしたところ、大変ありがたいことに大変ありがたいコメントをいただきました。

不肖繁澤からのコメントも以下には記載しておりますが、ぜひともdracom⇔うんなま、共にこの年末の公演として、ご贔屓にしていただければ大変ありがたいなと思っております。

*****
【dracom→うんなま】
 dracom(ドラカンと読みます)は、1992年に「劇団ドラマティック・カンパニー」という名前で結成された集団です。「1992年」、リーダーである私、筒井にとっては別にどうってことないですけど、今の若い演劇人やお客さんが生まれた頃なのでしょう。私は、当時の男子がみんなそうであったように、若者の衝動を代弁するこの曲をよく聴いていました。( https://www.youtube.com/watch?v=hTWKbfoikeg
 1998年に集団名をdracomに変えたのですが、その理由は稽古場として使っていた市民センター的な場所で、地元の中学生らしき女子らに、「『げきだんどらまてぃっくかんぱにー』やって〜」と馬鹿にされた感じで言われたからです。彼女たちのおかげで、今も繁澤くんのような若い世代の人たちとも仲良くできていると思います。感謝しています。

 私がうんこなまずの公演を観に行ったのは、友人が関わっているとか、どうやら良い評判を小耳に挟んだとかのありきたりな理由ではありません。でも、「何となく」でもありませんでした。少し考えてみてください。この劇団名の演劇公演を「何となく」観に行けますか? 本屋にふらりと立ち寄るように観客席に腰を下ろせますか? 絶対に無理です。この世の「何となく」を完全に拒絶しています。つまり私は選ばれし者として劇場にいたわけです。一方、彼らはその劇団名を免罪符として持っているとも言えます。クソつまらなくてもどこかで了解されてしまうかもしれないのです。許されはしないかもしれないけれど、「(観に行った)私が悪ぅござんした」と、その責任の所在を観る側にしてしまう力があります。こんなに素晴らしいことはないじゃないですか。いわゆる自己責任です。逆に言えば、上演が面白かった場合は勇気を持って鑑賞した自分を讃えたくなります。うんこなまずを初めて観たのは、2014年の『tango@bye-bye』ですが、このとき私は自分のことを相当褒めました。自分へのご褒美にこの曲が入っている中古のLPレコードを衝動的に買いました。( https://www.youtube.com/watch?v=7RkVO3_TOO4

 で、なぜ自分のことを褒めたくなるほど彼らの作品を良いと思ったかというと、演劇の衝動性を失わせないように、極めて丁寧な判断がなされていると感じたからです。一見すると「演劇の衝動性を失わないよう、丁寧に」という言葉には矛盾があるようですが、私はそうは思いません。衝動を表現に含ませるときこそ、かなりきめ細やかな判断を要します。人は必ず何らかの影響下にいます。ゆえに衝動でやったつもりのパフォーマンスも、実は過去の表現の影響で「ねばならない」という思い込みによるものであるケースが多々あるのです。うんこなまずの表現には、それがほとんど見受けられません。しかしそれでいて、奇を衒ったコンセプチュアルな表現をしているわけでもなく、「演劇か、ダンスか、音楽か」というような、クロスオーバーなことにもなっていません。演劇以外の何ものでもありません。これは出来そうで出来ません。本当に難しいと思います。

 うんなまはdracomに似ていると言われるみたいですが、誤解して欲しくないので言っておきたいのは、表現の内容が、dracomが先陣でうんなまが後を追いかけてきているわけではないということです。表現者は、年齢やキャリアだけでなく、いつどこにいる人であるかを自ずと問われているのですが、うんこなまずは同じときに同じ場所にいる実感を持てる数少ない表現者だと私は思っていて、もしそこを指して似ていると言われているのであれば、とてもよくわかります。
 この年末はお互いの公演が近くにあるので、せっかくだし、どちらも観て、私が言わんとしていることを確認してもらえたら幸いです。

公演集団 dracom
リーダー  筒井 潤

<公演情報>
dracom 祭典 『ソコナイ図』 2015年12月30日〜2016年1月3日、@アートスペース ジューソー/#13
詳細 → http://dracom-pag.org/?page_id=1569 


*****
【うんなま→dracom】
 「dracomとうんなまは似ている」という感想アンケートをいただいたことがあります。2013年1月、『明日放る』という作品だったのですが、今後の活動自体未定であったうんなまの1年ぶりの公演で、脚本も書けず、鏡だらけのキャパ20弱の空間にて9ステージ行い、うち1ステージは役者が開演時から泥酔している「酒気帯び公演」という振り返るに若気の至りでしかないステージを設けるなど、色々とハチャメチャな公演でした(「成人式公演」なる謎のステージもありました。集客数はお察し下さいの中で、酒気帯び公演が動員断トツtopを誇っていました)。
 それから2年半後、件の『たんじょうかい#3』にてうんなま脚本が上演されることになるとはよもや思いもしていなかったのですが、不思議な縁もあるものだということで、次回公演時期がヒジョーに近いということもあり、dracomとうんなまの双方からコメントを書く、ということを恐縮ながらもズケズケとお願いするに至りました。素直に感謝の念ばかりです。

 dracomの作品は、昨年10月に『gallery (extra version)』を、そして今年8月に『たんじょうかい#3』を、拝見しました。前者の公演についてヒジョーに印象に残っているのが、「演者と観客の間に存在する、もしくは共有している、あるいは対峙している、緊張感」のようなものでした。(当然ながら鑑賞物としての)美術作品の展示室にて、何というか双方向?のスリル感が存在していたその上演空間自体を、大変居心地よく感じたことを覚えています。もっとシンプルに言うと、「これから何が始まるのだろう」という、それはもう純粋なワクワク、ドキドキ感があったのです(ちなみにその感覚は、後者の公演、拙作にては、「いったい何が起きているのだろうか」「えらいところに来てしまった」という前向きな恐怖に姿を変えていました。しかしながら、やはり類似した感覚なのだろうなとも思います)。

 「舞台芸術とは、演劇作品とはなんぞや」ということを語るのはさておきながら、「演者側と観客側のせめぎ合い」というか、いやいやそんな大仰な言葉ではなく単純な、「目の前で起きることを、頭や身体や心といった全身で【共に】満喫する感覚」というかが、やはり表現の、ライブパフォーマンスの、何よりもの魅力なのではないかと思います。ポジティブな、活き活きとした体験として、何よりも「共有する瞬間を楽しむ」ものなのでしょう。そういった意味ではやはり、「コミュニケーション」なのだと思います。この時代に、この世界に、とか言い出すとまた大仰な話にはなりますが。

 もちろん、誰しもジャンル等によって好みがある、というのは当然なことなのですが、「いったい何が起きるのだろうか」というライブ感覚を、決してドハデな(突拍子もない、はあるかもしれませんが)何かしらありき[でもなく]能動的に満喫できる、というのはdracomもうんなまも共通している点、なのかなと感じたりしています。演劇とはやはり総合芸術なのだ、と思います。知らない世界はいくらでもあるのだ、とも思います。少なくとも、dracomは僕にとって、演劇それ自体、またはその向き合い方、という2点において、新しい世界でした。
 よろしければ、ぜひとも両方観に来ていただいて、その(きっとおそらくは)演劇的な瞬間の節々を共有し、満喫(あるいは比較)していただけると、大変嬉しいし、面白いのではないかなと、思ったり、しております。

劇団うんこなまず
繁澤邦明

<公演情報>
 劇団うんこなまず-09『フォアグラ』2015年12月26日-27日@イロリムラプチホール
 詳細→http://unkonamazu.exblog.jp/24852024/


*****

別に何が終わったわけでもないし何が終わるわけでもないのですが、ああ、ありがたいな、と思う色々に恵まれているなと思っております(主人公ぶってもいけませんが)。何にせよ、どちらもどうぞ、宜しくお願い致します。

# by unkonamazu | 2015-12-12 12:12
2015年 11月 29日

未来少年コナンの乱

こんばんは。司城です。
朝夕寒くて昼暑い季節、「服選びが難しい」「風邪をひきそう」など、定番のやり取りは十分に繰り返された頃でしょうか。こういった定番のやりとりはそろそろ法律で取り締まるべきだと思うのです。首の伸びたTシャツのように。(Uh♪翼の折れたエンジェル♪)

僕はといえば、珍しくというか初の通し前の脚本脱稿を果たした繁澤くんに、ブログを書けといびられ続けています。
戦争反対!賛成の反対!ビオレママの唾液は弱酸性!(スゥーパァードラァイ!)

東洋企画の『太陽の塔の4つ目の顔を見たことがあるか』を見てきました。
(東洋くんは、うんなまゴールドフレンズを自称する変わり者です。)
会場は京都の河原町。元立誠小学校です。
繁澤君との、差し入れ購入のための珍道中の末、なんとか会場にたどり着きました。

僕は頭が悪いから内容はよくわかりませんでしたが、会場を効果的に使った演出で、たくさんかっこいいシーンがありました。
いろんな大学の学生やその他の人が集まってやる大がかりなプロデュースも、久々に見たような気がします。集客もすごい。京都でっていうのもまたすごいですね。

うんなまも着々と本番の足音が聞こえてきています。
繁澤君曰く、今回は『クリスマスキャロル』と銘打って、楽しく見れる作品にしたいそうです。
なんやそれって感じですよね。スクルージおじさんが?頑固者で?煮え湯を飲んで?改心する話?
そんな話になるのかな?僕は稽古場で「ジャスティンビーバー」とかばっか言ってますけど?は?マジで「は?」

稽古場見学にいろんな人が来ていただいてます!
感謝!GANJA!まだまだ待ってます!

明日は明日の風が吹く!吹き矢であの子をしとめたい!そーれ、赤と黄色の毒ガエル!

おやすみなさーい!

# by unkonamazu | 2015-11-29 20:10
2015年 11月 29日

『フォアグラ』稽古日誌1128&29&般若&東洋企画

・昨日今日の稽古、般若、東洋企画、を観て思ったことを、ここにはくどくどと書いています。うんなまゴールドフレンズ!

・ダバダバと細かいことを言うのが演出スタイルだとしても、その細かいことが役者を振り回すのではなく、結局のところ大きい道としてできあがってほしいなあと思う。その道の歩き方は自由であってほしいし、満喫してほしい。ネガティヴな目的ではなくポジティブな手段。

・稽古見学、来てくれた人は楽しんでくれている(はずな)のがすごくいいなと思う。見学者がいるとやはりいろんな意味での刺激になる。

・役者は台詞が入り始めていて、上述のこともあるけどもっと自由になった瞬間というか、活き活きとしだした瞬間今よりグッと面白くなると思うと楽しみ。

・舞台上で演技する役者の目の前にあるのはあくまでもお客さんと同様の目の前にあるものというか、想像力で見ている光景を担保とすることは少なくともお客さんにその光景を想起させておかねばならないというか。我々はいったい何を共有していて、何を理由に、何をするのか、とか。あるいは、その目的と手段は、とか。即時的な反応、反射、意識、としての立ち居振る舞いと発語、点と点の間の線の文脈。

・今回の作品はいわゆる音照映、予想内外の効果がグッとありそうで、これまた楽しみ。

・しかしながら、冷静に冷静に作品と向き合わねばならない。面白い作品をつくることと、つくった作品を面白がることは違うのか。

・大仰なことを書くと、「演劇」とは「本当の瞬間を探すこと」なのではないのかなとかずっと思ったりしている。過去は過ぎ去りもうない、未来来らず未だない、だから現在が〜的な文脈も安易で、結局のところ上記のそれぞれを「信じる」「信じない」の仕分け作業なのではないのかなとか。それは懐疑的な会議。「何を」は問われなければならないのかとか。なぜ舞台上で役者は動き、なぜ舞台上で役者は喋るのかとか。誰に?誰のために?

・我々は、舞台上を信じるのか、舞台外を信じるのか、とか。鑑賞される物になるのか、影響し得る物になるのか、とか。その時間は何なのか、とか。

・我々の目線は何を見ているのか。空間的にも、時間的にも。何かを強く信じるという行為は魅力的だし時に愚かしいけどやはり素晴らしいのだと思う瞬間が瞬間だし、それ自体がまさにハッピーエンド、になるべきだとしたら、そのアフターサービスは誰がする、のか。あんた視野狭いよって言われたら終わる話だとしたら。セカイ系がセカイ系になれない時、何が起きるのか。

・青臭いアホ臭い文章が冗長だけどそれは何だ、何よりも般若、の影響が大だ。これを書くこと自体が自己満足だ。。。




# by unkonamazu | 2015-11-29 19:43