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うんこなまずの巣

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2014年 04月 05日

純情可憐な君の家系は魔法使いっショ

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そもさん!せっぱ!繁澤です。

というわけで『tango@bye-bye』終了からももう2週間が過ぎて行きました。
日々を過ごしているのかそれとも日々が過ぎて行くのか、そんなことを考えたり考えなかったりしつつ、それでもやっぱり時間は経つものです。

「社会人なったら(大学卒業したら)時間経つのマヂはえぇ~」
みたいなことをへらへら笑いながら言うような大人にはなりたくないなあと思いつつ、そもそも大人になんてなれてないじゃないのってなことを考えつつ。でも「大人になんてなれないぷぅ~」とかいう思考そのものが甘えなんだろアホかって考えたりもしてしまう。というかまさにそうなんだけども。

というか、世に出ている?いわゆる社会人?の方々、というかもっと言えば自力で生きている、自活している人ってのは大人なんでしょうやっぱ。自分の人生自分で責任を持っているというか。
いや、僕も一応働いているんですけどね。でもイマイチ、何か違うなあと思ったり。あれか、実家か、実家に住んでるからか。結局そこかい!(ズビシ)

「誰もあなたの人生に責任をとってくれない」
こんな言葉を、会社の同期の女性に言われたことがあります。その人は中国人で、なかなかすごい経歴というか、まさに自分で自分の人生切り開いているような人なのですが、そんな彼女が同期数名と僕が客演していた芝居を観に来てくれた時か何か、その流れで言われて。その時はすごく前向きな文脈で使用されていたのですが、この言葉がすらっと出てくること自体がすごいよなとしみじみした記憶があります。

しかしまあ、この言葉ってすごい嬉しくもあるし怖くもある言葉だよなって、今は素直に思います。


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『tango@bye-bye』という作品について、になるのかはさておき、今回は「鉄砲玉」とか「動物園」とかいう言葉がリフ(よく使うフレーズ)になっていました。

鉄砲玉(とりあえず発砲されてしまった銃弾の意)ってのはきっと止まるべき何かに衝突するまでは進み続けるもので、つまりは時間の流れにあらがえないわけで。そしてもとあった場所には決して帰って来れないわけで。つまりは一方通行なんですね。これってまあ当然のことなんですけども、僕らも当然そうなわけで。そりゃ流れ星ってのもそうなんだけど、ピタッとそこに留まることはできないんですね。未来まさに現在この瞬間、過去になっていってるわけです。「ずっと彼女と2人でいれたらそれだけでいい」と言って笑うのは、フラグとまでは言わないけどもそれはできないことを示唆している、気付いているんじゃないのかなと。

動物園ってのはなんなんだろうなとか自分で言っちゃうのかって話なんですけども、まあそんな自分を見ている存在がいるよねってことなんでしょうか。「わかってんだよ、見てんだろアラアラアアァ」じゃないんですけども、自分の目の前の何かに抗うために、自分と目の前の何かを別の次元からひょうひょうと見ている方々に明確な意思表示をしたかったんでしょうか。うわメタだ。まあ、舞台上と客席の関係ですよね。気に入らないものには気に入らないと言ってやりたいものですやっぱ。というか、疑念ですね。

「本当の瞬間」というものを舞台上につくることが今回の僕の楽しみの1つだったわけですけども、その本当の瞬間てのを作為的に作ろうとする?ってのも不思議な話だよなと思います。つーかそれって嘘じゃん、じゃないけど。いや、僕はここしばらくは(少なくともうんなまでやろうとしている出し物は)物語至上主義でもないし、あくまで出来事を提示するってのが大前提なんですけども、まあ本当の瞬間てのは日常の、あなたが今まさにしている行為そのものでそれ以上でもそれ以下でもないんじゃないのって言われるとまあそこまでで。確かなものは劇場にあるのか日常にあるのか、っていうと鼻につく。(ズビビ)

「物語がない人の物語」ってのはまさにテーマで、それってすごいゆとり的じゃんって言われるとそうですねエヘヘ的な返しになってしまうんですけども。ここで僕が言う物語ってのは剣と魔法とか革命闘争とか戦争うんぬんとかラブロマンスとかそういうのだけじゃなくて、例えば働いて結婚して子供できてうんぬんかんぬん、といういわゆる(かつてそう思われていたそれら自体自然に安定して発生する、誰でもできるっていう時代でもないんだぜ今はっていう考え方もあるけど)ライフステージライフイベントも含んでいたりするわけです。

夢のような、夢を追いかけるゆえの物語もあるし、現実的な、現実に基づく物語もあるし。だがしかし、もしその両方が(手に入ら)ない人がいるのであれば、その人はどう立ち振る舞っていけばいいのか、というか。それすらも物語?

もっと言えば、物語には終わり、エンディングが設定されているもので、それらはまあエンディング然としたものであってしかるべきで「あーやっぱこう終わるべきだよな」とかがあるだろうのだけれども、実際の私たちはそうはいかないというか。「千年の恋も醒める」ってのは、まさに千年で終わっておくべき物語がさらに一年を描こうとした結果生まれた悲劇、というか失敗という考え方もできたりしない?まあ人生ここでカチッとエンドマークを打つぜってなことは僕ら決してできないし、それが入水とかってのはまた違うよねえと。

別に人生になんて失敗も成功もなく「ただそれ」があるだけなんだろうけれども、ふとこれすごい大失敗しちゃってるんじゃないかこの人生って思う時ってありませんか?僕は時々すごいあります。大成功だぜヤッホーな瞬間もあるにはありますが。そんなセンチメンタリズムをチラリズムする間もないように時間や日々は過ぎて行ってくれるのかもですが。

なんだかつらつら。まあ、堂々巡りですな。
とーぜん、それを出し物としてする以上はそこに何かしらの面白味(少なくともこちらの意図として設定しているサムシングおもしろい)が必要にはなる。

しかし働きだしてから、もとい(いやまあまだ全然年数経ってないのに社会人ぶんなって言われるとそれまでなんですけども)就職してから、僕の脳内お花畑な非生産的思考と現場現実現物な生産的思考はごちゃくそに入り混じって、それは結局僕の思想そして作るものに多分に影響しているんだろうなって思うと今までの全てに感謝ってとりあえず言いたくなるし言っておけばオッケーな気分になる。結果としての良いキメラ。ピキー!いや、絶対最後は寛容さが肝要だと思うのです。無責任なのかもしれないけど「いいんだよ」「そんなもんさ」な類の気もちが常にあってほしい。あまちゃん!じぇじぇじぇ!でも、最終的には進まなければならない前に進むことを厭わないように、心から堂々と進めるように。例え、まあ、何かしら、何かしらだとしても。

そんなことを後にも先にも考えていたら、素敵な人たちと『tango@bye-bye』ができあがりましたとさ。いや、『tango@bye-bye』を作った人はこれらのようなことを考えています、なのでしょうか。


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まあ、頭の中にあるダイヤモンドよりも目の前にある石ころの方が、実際にそこにあるって意味では価値があるのだろうかって思っちゃうし、でも退屈は鼠でそれを追いかける猫は想像力なんだよなって。

なんにせよ、都合よく解釈していきたい。
そして、この思考が実際に足りているかも、実際が思考に足りているかも、結局は責任もちません。

無責任!


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by unkonamazu | 2014-04-05 04:15 | 日々


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